自分と仲良くなればなるほど、
寂しさは薄れていく。
そんなことをセラピストの先輩から聴き、
本当にそうだなあ。。。と思っている今日この頃。
寂しいって気持ちへの処方箋は、
この自分と仲良くなるってことに尽きるかなあと思っています。
結婚してから1年。
ダンナの帰りが遅かったり、
週末、ダンナが友達と出かけたりすると、
無性に寂しさを感じます。
時にはダンナに対して怒りや猜疑心すら覚えることがあります。
ダンナと恋人時代には、一人暮らしで、一人時間を楽しんでいたのに、、、
かと言って、
ダンナにいつも家にベッタリと居て欲しいわけではないのです。
独身で寂しい・・・というご相談がある一方で、
こんな風に結婚してからが寂しい。。。というご相談もあり、
人間って、どんな状態でも寂しいものなのかな、なんて思う私です。
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よろしければ、音声を聴きながら記事をお読みください。(2部構成)
寂しいって気持ちは人間の感情の中で一番辛いもの?
数年前、ある人が、私に、
こんなことを言ってくれました。
寂しいって、人が持つ感情の中で、
一番辛い感情なのよ。
寂しいって、誰かを求める感情だから、
一人では、どうにもできない。
だから、寂しいって、一番辛い感情。
この言葉を聴いて、
「確かに、そうだなあ。。。」と納得した私です。
7年間、セラピストをしてきて思うのは、
寂しいって感じる時に、
自分が求める誰かって、
もしかしたら、自分自身なんじゃないか?ってことです。
寂しさを感じている自分のそばに、もう一人の自分が一緒に居る。
それができるようになるためには、
【一人でいられる能力】を育てていく必要があるかなと思います。
一人でいられる能力をつけると寂しさは薄れる
【一人でいられる能力】というのは、
精神科・小児科医のウィニコットという人が提唱した概念です。
一人でいられることが能力???
何それ?
と思った方もいるかもしれませんね。
日本では、一人でいることは、何か恥ずかしいこと、
誰かと一緒に居ない人は、何か劣っている、欠点がある人、
そんな風にみなされがちですが、
ウィニコットさんは、一人でいられることは、
情緒的に成熟している現れであると言いました。
人と離れて一人で居ても、
心の中に、他者が居て、
その他者は温かい眼差しを自分に向けている。
寂しい時には、心の中の他者と話す。
※これは妄想しているのとは違います。
一人で居ることがそんなに辛くなくて、
一人でいることをむしろ楽しめる。
こういうのが私が理解する【一人でいられる能力】です。
ひきこもり状態での一人とは、全く違う一人です。
ひきこもり状態の時は、他者に、社会に、
自分の心を閉じています。
一人でいられる能力が育っている人は、
一人で居る時には、
自分の心を他者に開いています。
外側から見たら、同じ一人で居る状態でも、
心の状態、心の在り方は全く異なります。
私が、この言葉を聴いたのは、
もうかれこれ20年以上前でした。
精神科医の齋藤学氏の
セミナーだったか、著書だったかと思います。
当時、私は摂食障害で、
齋藤先生のグループセッションに参加したり、
カウンセリングを受けたりしていました。
今思えば、アダルトチルドレンとか、
メンヘラ女子とかの先駆けでしたね。
齋藤先生から【一人でいられる能力】という言葉を、
初めて聴いた時、
なるほどねえ、ウィニコットさんも、
それを摂食障害の子に言う齋藤先生も、
上手いこと言うねえ、
私、確かに一人でいられる能力ゼロやわ・・・
それがあったら、どんなにいいだろう。
それがあったら、摂食障害も要らないのになあ。
そんな風に思った記憶があります。
それから、20年以上経ち、
【一人でいられる能力】という概念に、
カウンセリングの先生のブログで再会。
そうだよなあ、
一人で居ても、人との温かいつながりを感じられる、
この状態をキープできるって、能力だよなあ。。。
しかも大事な能力。
なんて、しみじみ思い、
この考えと出会い直したような感じでした。
一人でいられる能力って、どうやったら育つ?
【一人でいられる能力】について、
齋藤学氏は、その著書
「自分のために生きていけるということ」寂しくて、退屈な人たちへ で、
このように述べています。
「一人でいられる」ということは、
決して、「一人で家の中に閉じこもっている」という意味ではありません。
他人を前にしていても、
「自分が一人でいる」ことを楽しめる状態なのです。
母親の視線のもとに安全を感じている乳児が、
母親のことを忘れて自分の手の動きに気をとられているとき、
この乳児は、「一人でいられる」といいます。
===引用終わり===
この齋藤氏の言葉を、
もう少し詳しく説明すると、
赤ちゃんの時(生後0日から満1歳未満)というのは、
母子密着の境地と言われています。
これは、どういうことか?と言うと、
赤ちゃんというのは、
当然ながら、自分で自分の世話ができません。
お腹が空いたとか、
おむつの中にウンチをして、
その感覚が不快とかという時、
自分でそれを何とかすることができず、
唯一できることは、
泣き叫んで、お母さん、
もしくはお母さんの代わりに自分の世話をしてくれる人を
探し求めることです。
そのため、お母さんがいなくなるということは、
とてつもない不安と恐怖を引き起こします。
これは「一人でいられる能力」が
全くない状態ですね。
もう少し大きくなると、
お母さんと同じ場所にいたとしても、
一人遊びを楽しむことができるようになります。
なぜ、一人遊びを楽しめるか?というと、
お母さんが自分を見ていてくれる、気にかけてくれている、
お母さんと自分との間に、
安心安全なつながりがあると感じることができるからです。
母親に安全感をもらっているからこそ、
その安全感が土台となって、
この『一人でいられる能力』は培われるのですね。
ここでいう安全感とは、
母親が過度な侵入をせず、かといって、育児放棄もせず、
お世話が必要な時はしてくれるけど、
そうでない時は、
自分は自分として居られるという感覚が持てる、
そんな安全感です。
逆から言うと【一人でいられる能力】が低い人は、
母親から、この安全感をあまりもらってないと言えます。
なので【一人でいられる能力】を育てるためには、
母親代わりとなる誰かとの関係性で、この安全感を培っていく。
そんなことが必要になってくるかと思います。
私の場合で言うと、
最初は、摂食障害者の自助グループ、
それから、カウンセラー。
少し元気になってくると、
同じ趣味でゆるやかにつながるグループ。
それらのものが、私にとって、
母的で健全な安全感をくれる場、人であったなあと思います。
私のお勧めは、
自分が安全感を持てるようなコミュニティを探すことです。
一人の人間に多くを求めるより、
人と人が集まって作るコミュニティの方が
リスクが少ないからです。
良いコミュニティの見分け方は、
出入り自由であること、
等身大の自分で居られること、
コミュニティの人が、自分を待っていてくれる感じがあること、
この3つかと思います。
寂しいという気持ちが募った時、
このようなコミュニティを探してみるのは、どうでしょう?
ありのままの自分を待っていてくれる感じがするコミュニティで、
十分な安全感を味わうと、【一人でいられる能力】が育ってきます。
その結果、一人の時間は、
自分の中にいる、自分を見守る他者との対話の時間となり、
寂しさが辛いものではなくなります。
そして、実のところ、
心の中にいる、自分を見守る他者こそが、
自分にとって一番親密な自分自身であるのです。
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